2010年06月16日
戦世ぬ唄
南の島々では、言葉に宿るコトダマよりもさらに高い霊力がウタには宿ると考えられています。
そんなシマウタの中には自分の戦争体験をうたったうたがいくつもあります。
明治大学の山内教授と沖縄へ「戦世の唄」の取材をしたのは2003年。ウタにこめられた強いメッセージと願いと祈りの迫力に圧倒されました。
その「戦世の唄」を7年後の今、一人芝居の大城若菜さんらとコラボレーションでに歌う機会を得ました。
うたになった「戦争の記憶」から私たちは何を知ることができるでしょうか。
6/22 19時から新宿ネイキッドロフトにて。
出演/シーサーズ・宮国英仁・大城若菜・古我地
前売り2000円(持田までご連絡くだされば特典あり?)
艦砲ぬ喰えー残さー
両親と兄弟、妻子を戦争で失い、失意から立ち上がった人の遺言。「でいご娘」の父親、比嘉恒敏さんが自分の体験をウタにしたもの。
十九の春〜かわいいスーチャン(兵隊節)
「かわいいスーチャン」は明治時代の演歌「ラッパ節」の流れを汲む。初年兵がつらい軍隊生活をなげいてうたった。戦中に兵隊たちによってうたわれて流行し、戦後、与論島に伝わって「与論小唄」、さらに「与論小唄」から「十九の春」が生まれた。
陳情口説
沖縄民謡研究家の杉本信夫さんに教えてもらったこのうたは、1955年の武装米軍による強制土地接収のあと、土地を追われた伊江島の農民が沖縄県民に訴えていったときにうたわれた。詩は伊江島の野里竹松さんの作。本島の人々は「陳情口説」をうたう野里さんたちへ、涙ながらにお金やものをカンパしたという。
アメリカの花
「陳情口説」をうたった野里さんの家は真謝集落にあったが今は米軍の射爆場になっている。その射爆場を目の前に見据えて、老夫婦が暮らしている。
「野里さんは、家の入り口の庭に、真っ赤なケート花を咲かせるので、アメリカ兵も思わず立ち寄り「パパー」といって花をねだってもらって行くそうである。そこで野里さんは、花をただやるのではなく、この琉歌を書いて花にさし、アメリカ兵に渡しているのだという」『沖縄の民謡』杉本信夫著より
ヒヤミカチ節
終戦直後、アメリカにいた民権運動家・平良新助が戦争で荒廃した故郷沖縄盛彬が曲をつけた。ヒヤ!と気合いを入れてがんばろうという故郷沖縄の人々への応援歌。
そんなシマウタの中には自分の戦争体験をうたったうたがいくつもあります。
明治大学の山内教授と沖縄へ「戦世の唄」の取材をしたのは2003年。ウタにこめられた強いメッセージと願いと祈りの迫力に圧倒されました。
その「戦世の唄」を7年後の今、一人芝居の大城若菜さんらとコラボレーションでに歌う機会を得ました。
うたになった「戦争の記憶」から私たちは何を知ることができるでしょうか。
6/22 19時から新宿ネイキッドロフトにて。
出演/シーサーズ・宮国英仁・大城若菜・古我地
前売り2000円(持田までご連絡くだされば特典あり?)
艦砲ぬ喰えー残さー
両親と兄弟、妻子を戦争で失い、失意から立ち上がった人の遺言。「でいご娘」の父親、比嘉恒敏さんが自分の体験をウタにしたもの。
十九の春〜かわいいスーチャン(兵隊節)
「かわいいスーチャン」は明治時代の演歌「ラッパ節」の流れを汲む。初年兵がつらい軍隊生活をなげいてうたった。戦中に兵隊たちによってうたわれて流行し、戦後、与論島に伝わって「与論小唄」、さらに「与論小唄」から「十九の春」が生まれた。
陳情口説
沖縄民謡研究家の杉本信夫さんに教えてもらったこのうたは、1955年の武装米軍による強制土地接収のあと、土地を追われた伊江島の農民が沖縄県民に訴えていったときにうたわれた。詩は伊江島の野里竹松さんの作。本島の人々は「陳情口説」をうたう野里さんたちへ、涙ながらにお金やものをカンパしたという。
アメリカの花
「陳情口説」をうたった野里さんの家は真謝集落にあったが今は米軍の射爆場になっている。その射爆場を目の前に見据えて、老夫婦が暮らしている。
「野里さんは、家の入り口の庭に、真っ赤なケート花を咲かせるので、アメリカ兵も思わず立ち寄り「パパー」といって花をねだってもらって行くそうである。そこで野里さんは、花をただやるのではなく、この琉歌を書いて花にさし、アメリカ兵に渡しているのだという」『沖縄の民謡』杉本信夫著より
ヒヤミカチ節
終戦直後、アメリカにいた民権運動家・平良新助が戦争で荒廃した故郷沖縄盛彬が曲をつけた。ヒヤ!と気合いを入れてがんばろうという故郷沖縄の人々への応援歌。










